印鑑

印鑑は、
財産を管理する
パスワード

実印や銀行印、認印など、印鑑それぞれに持つ意味を御存知でしょうか。
時には『承認の意思』『責任の明確化』を他者に伝える、非常に大切な役割を果たす「印鑑」。その意味を知ることは自身の人生をも守るカギになります。

相馬では「印鑑を持つ意味」をじっくりていねいに彫り込んでいきます。
世界にひとつのパスワードを、あなたに。

相馬の歴史

HISTORY

始まりは、京都

初代は、佐土原藩の商家の次男として生まれ、京都で印章の修行をして、佐土原城のお膝元となる佐土原町上田島にて開業。

1889年に宮崎町が発足した頃、今後、秋月藩の城下町だった高鍋町か、宮崎町(現宮崎市)のどちらかが栄えると考え既に児湯郡の中核都市として栄えていた高鍋町(現在の宮崎銀行高鍋支店の長屋があったその一角)に明治23年3月に移転しました。

秋月種樹公からの「博愛堂」

その頃、明治天皇の先生としてのお役目を終えて東京から帰って来た秋月種樹公に「博愛堂」と看板を書いて頂きました。(看板は店内に飾っております)プロテスタントでもあるので“博愛堂”と付けたと思います。明治25年に種樹公は病に伏せて神奈川に行かれております。
元老院議官を務め上げ隠居された明治14年~明治25年までに「博愛堂」の看板を種樹公に書いて頂いたと思われます。

それからの軌跡

その後、高鍋町は六日町、十日町に官公庁があったので六日町に移転し、平成9年まで営業していました。平成9年中頃には通りに人通りが少なくなり宮崎銀行のそばに移転。その後、道路拡張により平成22年10月に現在の場所へ店を建てることなり、現在に至っております。
現在、五代目 宗典が営んでおり、技術を上げても奢らず常にお客様の立場に経って考える様に心掛けております。

宮崎印鑑の相馬印ばん店の歴史
DRAW LETTERS
五代目

相馬 宗典そうま むねのり

「彫れる職人」が日々減っていく時代、さらに人生を振り返った時にどう生きたかを考えたい。営業の道から、職人への道を歩みだす。

粗彫り作業の中で、創り上げる楽しみと喜びを知る。後に彫る事より、重要なことは書くことと知る。「基本」を忘れず、現在も展覧会に積極的に出品して、今と昔を融合させた技術を勉強中である。印相印の形を継ぎつつも小篆調の曲線美を取り入れて5代目の味となってます。

印鑑として安全な物、本来の形をインターネットを使って長閑な田舎から発信できたらと思い、インターネット上のマーケティングが必要不可欠になると実感している。

受賞歴

AWARDS
第63回 大印展 木口角印小篆の部 銀賞

第63回 大印展(平成27年)

木口角印小篆の部|銀賞

第64回 大印展 木口認印・実印の部 銀賞

第64回 大印展(平成28年)

木口認印・実印の部|銀賞

第67回 大印展 書道半紙の部 金賞、書道版下の部 銀賞

第67回 大印展(令和元年)

書道半紙の部|金賞
書道版下の部|銀賞

第45回 宮崎県美術展 書部門・篆刻 準特選

第45回 宮崎県美術展(平成31年)

書部門・篆刻|準特選

第46回 宮崎県美術展 書部門 篆刻 準特選

第46回 宮崎県美術展(令和2年)

書部門 篆刻|準特選

63th大印展 篆刻の部 金賞、(大阪府中小企業団体中央会 会長賞)

63th大印展(平成27年)

篆刻の部|金賞
(大阪府中小企業団体中央会 会長賞)

6つの約束

PROMISE
01

出張可能

産後、子育てで忙しい、交通手段がない、なかなか動けないなど、ご来店が難しい場合、宮崎市、日向市まででしたら出張は可能です。お気軽にお申し付けください。

02

誠実にご対応

お客さま一人ひとりのご状況をお聞きし、心より誠実に対応させて頂きます。世界に一つのお客様の大事な印鑑を作り出すために、情報収集に努めます。

03

素材は確かなものを

目で見て、手でさわって、確かなものだけを仕入れるようにしています。ぜひご来店いただき、お確かめください。

04

唯一無二

文字のデザインは、すべて手書きです。世界に唯一無二の印鑑を創りますので、パソコンの文字は一切使いません。人生を切り開く、安全な道具としてお使い頂けます。

05

心を込めて

ひと描きに想いを込めて丁寧な作業を心がけます。

06

アフターケア

落とされたりして、欠けたりした場合でも無償で修正致します。但し、手作業なので誤差がでますので、実印、銀行印の場合は再度、登録が必要になります。

亡くなられた方の印鑑、不要になった印鑑は、印章供養祭に持参してお祓いののち焼納いたします。