鯨ようかん
佐土原名物の鯨ようかん。
モチを餡で挟んで鯨の肉にみたてた羊羹です。
“鯨ようかん”の由来は、江戸時代、薩摩藩支藩の佐土原藩4代藩主島津忠高が26歳で早世。その子・万吉丸は2歳にも満たない年齢であったため、世継ぎを巡って争いが生じた(松木事件)。その混乱の中、万吉丸の母・松寿院が「息子と藩が、大海を泳ぐ鯨のように力強くたくましく育って欲しい」と願いを込めて鯨に似せた羊羹を作らせた。
万吉丸は後に5代藩主(6代とも)島津惟久となり、名君と慕われたという。(Wikipediaより)
ちなみに高鍋藩は薩摩藩と接せしていたから緊迫もあっただろう。3万石(表立っての数字、実際はかなりあったと思われる)とかなり小さい藩だけに。
疑問に思うのは遠く離れた宮崎県の南端となる串間市、宮崎市の瓜生野、倉岡、国富町の木脇が高鍋藩となってる。なんでこんな飛地が発生したんだろ?
詳しい方がいらっしゃったら教えて頂きたい。
話はかなりズレたが、大塚園のお茶を飲みながら休憩。