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店の歴史を調べる…


今、ホームページをリニューアルしてます。
その中で相馬印ばん店の歩んできた歴史を数少ない書類から調べてます。
初代は佐土原に住んで居た相馬 宗兵衛の次男 寅次郎でした。
家系図から養子養女が多いのに驚く。
また寅次郎の生まれは慶応2年8月8日。 この年は薩長連合の盟約成立したり、寺田屋事件が起こった年で日本が大きく変化していこうという時期だ。
≪開業≫
博愛堂(相馬印ばん店)の開業がいつかは分からない。
なので寅次郎の年齢から推測すると1880年代後半(明治19~25)に佐土原町上田島で開業したと思われる。
最近まで土地を所有してました。やはり城下町で鰻の寝床の様な土地でした。
近くにもう一箇所あるが知らない人が家を建ててる…
≪高鍋町に移転≫
1903年3月21日と記録があります。寅次郎37歳
場所は、現在の宮崎銀行高鍋支店。
高鍋に来たのは1889年の町村制施行で宮崎町が誕生して、これからは宮崎町か、高鍋町が発展するだろということで考えた末に当時は秋月藩の城下町だった高鍋町が宮崎町より栄えていたので高鍋町にきたようです。
その後、栄えていた高鍋町大字六日町へ移転。
その頃、郵便局、警察署、宮崎銀行、馬車のバスターミナルみたいなのも中町、六日町、十日町に集中してたそうです。
≪博愛堂から相馬印ばん店へ≫
2代目は4代目が小学4年の時に医療ミスから他界。
その後、祖母が店を切り盛りしてたので祖母が3代目とります。
2代目が生前に祖母にゴム印の彫り方や、ゴム刀の研ぎ方を教えていた様です。
この頃に博愛堂から相馬印判店に名前が変わってます。
父の代になった後に画数を考慮して「相馬印ばん店」と屋号を変えてます。
私は「博愛堂」に戻したいのですが…。^^;
≪近年…≫
平成9年(1997)に入り通りは閑散としたこともあり宮崎銀行高鍋支店の交差点の角地に移転。
この時、父の代で終わる考えだったのでテナントとして入ってました。
平成22年に道路拡張によりテナントを出らざる負えなく、現在の場所へ移転しました。
今年7月にはホームページをリニューアルします。
自作のページでは素人なりのページなので、今回はホップステップアヤウエブのアヤさんにお願いしました。
今週末には大まかな物が見れるそうです。
少しずつですが一歩一歩前に前に…