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判子屋がみる印鑑の大きな問題(その壱)

コロナ禍で再び印鑑は必要ないとする印章不要論が噴出した。
印鑑の制度、法整備、教育をみても致し方ないことだと思う。

印鑑は、現代社会において契約の証、書類の内容を認めた証、財産を管理するパスワードとして使われ重要な物だが、印鑑制度には大きな問題点がある。

判子屋がみる印鑑の大きな問題

まず法律について

建物、食べ物、医療品などなど…どれも安全基準を定めて法律で厳しく消費者の安全を守られている。
これら当たり前のことだが、印鑑の安全基準は「押してある印影から同じ物を作っていけない」のみ…で、まったく守られてない。危険な物を売ってもお咎めがないズブズブの現実。

印鑑の絶対条件は、同じ物があってはならない
存在したら、印の信頼性、信ぴょう性が損なわれる。

だからこそ、印影から同じ物を作ってはいけないと法律ができている。
だが、パソコンの存在もなかった時代につくられた法律。今ではパソコンの文字でつくれば同じ印鑑がつくれる現代社会となってきてます。
それなのに規制されてない。

パソコンの文字による彫刻された安価なオモチャの印鑑が大量に販売されているが、最近では高価な印鑑でもパソコンの文字で彫られた物が多くなっている。

これは商売上の道義を無視した判子屋の問題です。
なので、購入する際は、パソコンの文字で作るのか、手書きの文字で作るのかを見るべきです。

判子屋がみる印鑑の大きな問題

印鑑は、印面の文字が命です。
それがパソコンの文字で作れば高価な印鑑でも100円の三文判と大差ない危険なオモチャの印鑑でしかない。

パソコンの文字を許している印章制度は大きな問題を抱えている。
同じ物が存在してはならないのだから、パソコンの文字の使用は禁止するべきだ。

これをどうにかしたいと思うが、一個人ではどうにもならない現実…

明日は、別の観点からみた印章制度の問題をつづります。

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